2008年05月03日

チベット ~ポタラ宮殿~

ようやくホテルのあるラサへとたどり着きました。車

ポタラ宮殿ホテルのすぐ近くでした。

この辺りでは確か、ホテルは1軒しかなかったような気がします。



ホテルには酸素吸入器が各部屋に設置されていました。

高地で空気が薄いので高山病になりやすいとのことでした。

確かに息がしづらい。

旅のメンバーの一人が早速高山病でダウンしました。ダウン

私は割と平気で、体調も普段通りでした。


いよいよ旅のメインイベント、 「ポタラ宮殿」へいくことになりました。

あのダライ・ラマが代々住んでいた 「ポタラ宮殿」です。

当時はすでにインドへ亡命していて、ダライ・ラマはいませんでしたが、

この神秘なるチベットのさらに神聖な地へと足を踏み込んだのでした。キラキラ 

ポタラ宮殿は今まで見たことないような建築物で

圧倒的な存在感を放っていました。キラキラ 

(くわしくは映画「リトル・ブッダ」を見るといいですよ。

内部もバッチリ映っています)


宮殿内部にはえんじ色の袈裟をきたお坊さんたちがいました。

私たちはガイドの話を聞きながら宮殿の中をめぐりました。


このツアーがあやしいツアーだということはふれましたっけ?

このツアーはただのツアーではなく、

レイキティーチャー、アルパン(現在、那覇新都心のディーバスオーナー)

と行く、スピリチュアルツアーみたいな、

そんなツアーでした。

ですので、ガイドの説明に加えて アルパンのエネルギー的な面からみた

説明みたいなのがありました。


代々のダライ・ラマのお骨が入っているという

大きなかめがありました。

それを見て、アルパンが言いました。

ダライ・ラマのエネルギーを感じてみましょう・・・」

みんなは大きなかめの前に並びました。


私は目をつむり、エネルギーを感じてみようと試みました。

ゆっくりと深呼吸をしながら・・・・


すると、なんだかだんだん気分が悪くなってきました。ダウン

吐き気がしてきて、お腹もいたくなってきました。がーん

高山病はてな でも、さっきまではなんともなかったのに。

もう、がまんできないほど気分が悪くなり、

それをガイドさんに告げると、 sos ビニール袋をくれました。

間一髪びっくりで、間に合いました。が、

それだけではおさまらず

ガイドさんにトイレに連れていってもらいました。


チベット・カルチャーショックびっくり第2弾 は、

またしても トイレ・・・タラ~


そこには、壁もなく、しきりもなく、ただ四角い穴だけが

等間隔で4つ程ありました・・・タラ~


とりあえず誰も入ってなくてよかった~


壁がないので、山が見えとてもいいながめでした。


 もちろん、ポットン。


底まで高さ3メートルほど。下を見ると底はただの草原。


自然に還す、ということか・・・


気分が悪く、お腹の痛い私にとまどっているひまはありません汗

山をながめながら、速攻で用をたしました。

なんともいえない気分でした。ガ-ン


吐いても、出しても、まだ気分が悪く

ポタラ宮殿の見学を終えると

ホテルに戻って、すぐに横になりました。ダウン

みんなは街へと繰り出したのですが、

私はホテルで爆睡してました。眠る


街へ行けなかったことがとても残念でしたが、

実は私にとって必要なこと、私のこの旅の目的は

すでに達成されていたのでした。サクラ


この後もワークをやったり、UFOを呼んでみたり

いろいろあやしいことをしたのですが、

(あまりのあやしさに中国政府に目をつけられていたことが帰国後判明汗

それはおいといて、


チベットを発ち、飛行機に乗ったときのことです。


となりはアルパンさんでした。

ねえ、あれはいったいなんだったんだろうねはてな(急に気分が悪くなったこと)

 見てみようか?手かして」


そう言うと私の手に自分の手をかざし、

エネルギーを読みとっているようでした。


「昔、チベットにいたんだね。そのときダライ・ラマとは違う宗教をやっていたようだ。

それで、宗教争いのようなものをやっていたみたい。今回はそのときのカルマの解消のために

チベットに呼ばれたみたいだね。」


「へぇ~そうなんだ・・・」


確かに、ただの気分が悪いというのとは違っていました。


言われたことがほんとにそうなのか、確かめようがありませんが、

この旅から帰ってきて、すぐに

ゆきえさん(アトリエさとわ)から電話があり、

「一緒に山川夫妻を呼ぼう!」と言われました。

受話器を持った私は、

ビッグウェーブが自分に向かってきているのを感じました。


今になって思えば、チベットのあれが浄化だったのかな~と、思います。

それがクリアされたからこの先の「アトリエさとわ」につながったのでは

ないかと思うのです。(完)



(追伸)

当時もそうでしたが、ダライ・ラマは亡命していてチベットにはいませんでした。

10年たった今もまだ、チベットには帰ることができません。

21世紀になった今でも武力による弾圧がまかり通っているのが

不思議な気がします。

ある政治評論家が言っていました。

「国民が立ち上がらないと、何もかわらない」と。

確かに、国民が立ちあがることで世界から注目され、

世論が後押しをして独立へとつながっていっているような気がします。

チベット暴動でチベットが注目され、世論や国のリーダーが意見することで

チベットに自由がもたらされる日が近づいてゆくことを願います・・・


  ジョン・レノンは言いました。

  
  想像してごらん

  すべての人々がこの世界を分かちあっているのだと・・・

  僕のことを単なる夢想家だと思うかもしれない

  でも、僕ひとりだけじゃないんだ

  いつの日か君も仲間に加わってくれよ

  そうすれば、この世界はひとつになって動くだろう

  

 



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Posted by 地球<ガイア>の恵み satoko at 00:22│Comments(0)チベット
 
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